子供に期待してはダメ、子供を信じることが大事

子供に期待することは親も子供も不幸にしてしまうと私は考えている

普通親は子供に期待するものだと思っていないだろうか?

このブログを読んでいるあなたには決して子供に期待して欲しくない

むしろ子供の可能性を信じて応援してあげることが大事だと思う

私の期待されエピソード

私は長男で、色々期待されて育ってきたように思う

期待されていたからこそ、高校は県内でも有数の進学校に行った

でも、大学受験には合格せずに、代わりに専門学校に行った

結果として専門学校に行ったが、専門学校にいくことを父親は最初に許してくれなかった

多分私に大きな期待をしていたからだと思う

私はその期待を裏切ってしまった

期待に答えなければ裏切りが発生してしまう

期待するという行為には結果が発生する

さらに厄介なのは期待するという行為はその行為を重ねるたびに大きくなるということだ

期待したことが成功すればするほど、プレッシャーも強くなる

プレッシャーが力になるという考えももちろんあるし、否定はしない

でも、私は可能性から子供の成長を考えたい

期待が不幸に変わる三つの理由

・期待という言葉の意味

期待とは

過去の経験および現在の状況に基づいて,ある対象,現象,事件などが現れることを待ち設けている,いわば行動の準備状態の一種。普通,情緒的緊張を伴う。この概念はまた学習過程を説明するためにも使用されている。心理学者 E.C.トールマンによれば,学習が成立するのは,なんらかのサインが存在するときに,ある行動ルートをとれば目標に到達するという期待を生体がもつことであり,これは「期待説」と呼ばれている。

出典:コトバンク

すごく難しく書かれているが、大事なのは「行動の準備状態」という点と「情緒的緊張を伴う」という点だ。

期待するタイミングは、まだ何も起こっていない状態だ

何も起こっていないのに期待すればするほど取り越し苦労が増える

期待されれば失敗した時を勝手にイメージしたり、一方で成功した時はどうしようということも考えてしまうものだ

要するに精神的に安定しなくなる

つまり「情緒的緊張を伴う」ということだ

また、期待の対義語は複数あるらしい

絶望、失望、憂慮だ

面白いなと思うのは、それぞれタイミングが違うということ

絶望は期待と同じタイミングでする

失望は期待のあとでする

憂慮は期待しながらする

期待するとろくなことがない

じゃあ、期待する代わりに親が子供に何をするべきかというと、まさに対義語である絶望するべきである

それはこのブログの最後にお伝えする

期待をしてあげる親の苦しみ

親は実は子供以上に期待をしている

期待というのはあくまで準備状態なので、実は行動する当事者じゃない方が得意だったりする

期待してあげると書いたが、本当は親は期待したかったりする

得意だからどんどん期待して妄想する

もちろん失敗したらということも想定するが、いつしかの成功体験を思い出して、

そんなはずはないとすぐに打ち消したりする

当事者じゃないから何をやる訳でもなく期待し、本来自分がやるべきことも忘れかねなくなる

期待で満腹になると、それはそれは苦しい

で、期待が失望に変わると、お腹を下したような状態になる

期待をしてもらう子の苦しみ

子供は実は親の観察が得意だ

多くの親は見られていることに気づいていない

親同士の話も全て耳に入っている

だから親が期待していれば、子供はそれに気づいてしまう

最初の方は期待が心地よく感じる時もある

でも、一度失敗したり、期待が大きくなり過ぎると、

それがプレッシャーとなり、ひいては苦しみに繋がりかねない

親は一方で子供の観察が苦手だったりする

実際にうちの子に限ってそんなことはないという話が多いことからもそれがわかる

他人の気持ちがわかるのが難しいように、子供の気持ちもわかるのが難しい

期待というのは実は気持ちの押し付けだったりもする

実際に行動する当事者でもなんでもないのだから

子供のためと思ってしていたことかもしれないが、それが苦しみに変わってしまうのだ

親が子供に絶望したら起こること

絶望というとちょっと大げさかもしれないが、

望みを絶つということだ

子供は親のものではない

もちろん未成年である限り保護者がちゃんとサポートしてあげないといけないのは言うまでもないことだが、とはいえものではない

子供にはちゃんと意思がある

やりたいこともある

期待することで実は子供の可能性や選択肢を閉ざすことに繋がりかねない

だから子供には望みを絶って、信じてあげて欲しいと思う

可能性を信じることは本当に大事なことだと思う

親の役目は子供にレールを敷いてあげることではなくて、

子供が作ったレールから脱線した時に、ちゃんとアドバイスをあげて、

別のレールの作り方を教えてあげること

100人いれば100通りの考え方や生き方がある

幸せも他人から与えられるものではなくて、自分が感じるもの

自分が幸せだと信じる人ほど幸せな人間はいない

そう考える人になってもらうように、何かお役に立てれば幸いだ

 

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